青木靖恭ファイル
このファイルは下諏訪の青木靖恭氏が松澤宥の死後に手元にある宥関連資料を松澤久美子に托されたもので、50年代から70年代にかけての保存状態のよい貴重な資料を含んでいる。
といっても、青木靖恭氏を知る人は少ないでしょう。例のごとくインターネットで検索すると、詩集「あんどろたくしあ(1963)」、「義眼気球(1982)」があげられ、更に草飼稔、松澤宥、金子昭二らとRATIの発刊に関わったという。少なくとも、RATIの主催した1951年の諏訪のアバンギャルド・アート・ディスプレイに関わり、RATI 3号に宥と共同で詩を発表している。
しかしながら、この情報には重要な部分が欠けている。青木靖恭は諏訪中学(現諏訪清陵高校) 1936?年卒、松澤宥同じく1939年卒、金子昭二同じく1944年?卒。青木氏と宥の勤務先は諏訪実業高校定時制の下諏訪分校であり、金子氏の勤務していた下諏訪中学校と同一の敷地内であった。この3人が下社秋宮下に蟠踞して日々に親しく交際していた様子は松澤美寿津の思い出話にもよく語られた。1954年のアルファ芸術陣の結成、翌年の抽象派詩人協会の結成にもこの3人が大いに働いている。
なお青木氏は絵も描き、1954年の美術文化協会展で奨励賞を受けている。宥が詩の世界を離れたのちも、二人の親交はつづき、宥の個展などではしばしばお姿を拝見した。
ここでは1984年に青木氏が松澤宥に寄せた一篇を拾っておく(諏訪幻想読本1から)。
(文中敬称を一部略)
1984 松澤宥に寄せて
- Ψの函を開く -
Ψの函を開く
荘子を思わせる
豪蕩な気分
俗世への嘲笑
密教のエロス
ニタリトワラウ男
あなたとともに過した時空
その遥かなよびごえ
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昭和58年9月4日
松澤宥 様
2016/12/29 (春)
青木靖恭ファイル目録
1. RATI関連:
1 現代前衛芸術の夕べ 案内状 (10枚);②RATIの会:入会票(5枚);RATI 1-3号;
2. α芸術陣関連:
1 アルファ芸術陣結成展ポスター(6枚);②第一回アルファ中部連合展 4月27日-5月1日 案内状;
3. 美学校関連:
1 1970 美学校生徒募集要項;②1970 美学校チラシ;
4. 書簡類:主に音会に関連
芦澤タイイ:①陰画展への招待 序(葉書);②泉水入瞑想台で1972.6月18-19日に陰画展を開催;③地球音発信儀;
池田龍雄:①6月22日 夏至正午;
岩崎洋二:①青木宛空封筒;
金子昭二:①一歩 若葉の心;②二歩 風の移ろい;③三歩 南禅寺滝の音;④四歩 白い思想家たち、天然和唱の編;⑤<白い思想、その旅立ち宣言>についての若干の覚え書 2月28日;⑥第二回黒曜展作品目録 1971.12月 (原案:金子昭二、下諏訪中学職員美術同好会);
河津紘:①音感触 となり(葉書);
風倉匠:①下諏訪町諏訪湖上にて 1972.7.28, Sho Kazakura & Takao Kusuno;
楠野祐治:①青木宛空封筒;
栗山邦正:①音会への滅星事 1971.6月 告音;②音会にむけて告星の奏儀1971年6月20日;③ときわ画
廊案内状 1971.7.26-31(葉書);④星兵衛(ときわ画廊案内状 8月14-19日);⑤ 71 地球という星を守ろう(葉書);
小林起一:①証し1971.6.22;②雨の音 音会に寄せて;③退化宴 72.6.20:第三回断食資料;
死型工房宇宙原点:①死型通信 1-6;②暗号通信 風景と言語に関する考察シリーズ 1;③パリニバーナ・パーリヤーヤ生態学(新宿セバスチャン案内状);④諏訪音会 念音写;⑤音会 1971 呪い;
宿沢育夫・田中三蔵・花形茂:①島儀 1971師走 瀬戸内海にて(案内状);
春原敏之:①音会に向けて 護符;
赤土類:①土内融合 告知「音会に寄す」;②多摩川魔為教信 1971.7.1-7.31;
田中孝道:①ねつさまし;②三元公熊油本舗 案内(藤原・田中);③matai capsue message No.1, 1971;④Notice! Matai Stone-Age is coming;⑤Matai objective complement
置換姦系 リサーチ・プラン S46.11月;⑥紙上個展 魔胎寓意図版(1枚);⓻魔胎宇宙学寓意篇;⑧主信使乗?封筒1枚;⑨禊儀;⑩北指師団;⑪出演勧誘 法滅会 夜行館 泉水入り瞑想台;⑫On-e Suwa, Message
魔胎寓意;⑬音会出演勧誘;⑭音会スケジュール表;⑭音会号外7月10-11日(葉書);⑮雪の便 その2は2月12,13日に変更(葉書);⑯魔胎陳列館 ときわ画廊案内状 12月20-25日(葉書);⑰捜索要領 田中孝道創作特務班(写真、ビラ)1969.12.15-18 山梨県民会館地下画廊;⑱魔胎陳列館 封筒;
藤原和通:①田村画廊 5月28-30日 音響標亭 案内状;
前田常作:①発心種子 阿;②1970年1月4日ラクシュミナラヤン寺院「御守渡」;
水上旬:①古式汎儀礼派40/1-2;②古式汎儀礼派40/2~40/8 「白い旅人たちに捧げます」1976.6.17;③古式汎儀礼派 40/9、40/補(泉水入補足一式);④ 究極表現について 案内状 京都書院4Fホール 12月18日;
有賀完次:青木宛空封筒;
黒田良夫:第5回個展 案内状 1966.8.5-9 諏訪市美術館;
中島由夫:Ecology in Tokyo 1972.6月12-24日 サトウ画廊 案内状;
長谷川紀男:The Beatles 7/19-24日 案内状(青木宛);
古沢岩美:青木宛葉書 7月2日;
月刊みすず:青木宛空封筒;
5.松沢宥関連:
1 松沢宥作品:
・ああニル荒野におけるプサイの秘具体入水式原型展 案内封筒(2枚):一方には<反文明展>についての字曼荼羅 1965.1.16がはいる;
・ヴァニシングス消滅事 天然自然シリーズ 9/12, 1971.6.29;
・青焼き葉書(判読不能)7-12, おそらく葉書絵画;
・プサイの死体遺体に就いて;
・<プサイの意味>および<プサイ函/ Psi Chamber>に就いて(緑紙版2枚);
・松澤宥プシ止観 (1枚);
・空 <反文明>派集団参加口上;
1 松沢宥原稿類:
・諏訪の地底のひそひそ声に唱和して、1971.7.3 日本文化史研究所;
・松澤檄文:京都にて、この一隅変化のために
・千円札は消滅する 1966年7月;
・観念画集案;
・授 – 消滅のお札(原案2種);授 原案;
・この白いカンヴァスはニルヴァナへの希求;
・松澤宥憑依展;
・現代 幻影 1010;
・本人美術歴;
・余白に書く 滝口修造;
・美術思考研究室 1971年 美学校 1970年10月30日 (1枚:松沢宥・水上旬);
1 松沢宥資料類:
・松澤写真 (人類の滅亡を前に);
・第13回読売アンデパンダン展 展示写真(プサイ函SM,プサイの意味、プサイ函YM);
・松澤宥の美文協会退会挨拶の試し刷(14回美展案内状);
・資料集積目録1973.9.28 (1961-1971):プサイ函から我は今ここプサイの(カッ
セまでの目録 6頁
1 展覧会案内状類:
・白と黒 1962 アートクラブ展 5月1-6日 新宿第一画廊;
・松澤宥個展 V.1010 京都アヅマギャラリー1月30日―2月5日; 案内状に加筆;
・<プサイ函> 6月16-30日 青木画廊案内状;
・ちいさなちいさな展覧会 5/19-24 銀座松屋8階 案内状;
1 展覧会ポスター・チラシ類:
・本牧亭万華鏡 4月26-27日 (邦千谷、辻村和子+松澤宥、鈴木裕子、白松圭子、川名かおる、赤土類、踊媒);
・カタストロフィー・アート ミラノ・東京同時展;1972.11.4-13, チラシ;
・公募ポスター 京都 1970.8 ニルヴァーナ委員会 2枚組;
・Art&Project、Mr. Seth Siegelaub (N.Y.) , 非連続の連続 広告(1枚);
・Cayc Towards Nirvana – the Catastrophe art in Buenos Aires, 1975. April;
・シアター夜行館 名古屋興業ポスター(無縁童女往生絵巻 1972.7.7):このあと下諏訪に巡業した筈
・0次元商会 狂気見本市大会ポスター 上野本牧亭 (松澤宛)
1 私信類:
・青木靖恭宛葉書:「二科展を見た」住所:井荻2-50 親和寮
1. 封筒・用箋類:
①諏訪文学封筒;② カタストロフィまたはカタストロフィー・アートについて(用箋)1972.28.Oct. – 30. Nov. Gallaeria San Fedele, Milano;③ 封筒:人間と大地のまつり;
7.諏訪実業高校関連:
諏訪実業中心校 S45年間行事表;S43諏訪実業下諏訪分校行事予定;
1. その他:
1 武蔵野美術短期大学通信教育部:眼をモチーフにするポスターB5版(1枚);②観光の飯田 パンフレット;③青木言子発 村上利雄宛 私信 S45.4.21;④愛知県文化会館美術館 案内状
(以上)